もふもふしたい日々

意識たかいたか〜い、能力ひくいひく〜い

メルヴィル「白鯨」とバケモノの子(ネタバレあり)

 

ご無沙汰しております。

 

先日、細田守監督作品の「バケモノの子」を観てきました。

作品中に何度も登場するメルヴィルの「モビィ・ディック(白鯨)」、大学の授業で少し触れたのでどうもそれが気になって仕方ありませんでした。

「白鯨」は捕鯨の最中に白いマッコウクジラに足を食いちぎられた船長エイハブが復讐心に捕えられ、白いマッコウクジラ(=Moby-Dick)に挑むというストーリー。かなり難解な文章で、アメリカ人が読むのを諦めるレベルだとか。しかしかなり有名な作品であるため、「バケモノの子」以外の作品でも多く取り上げられています。

 

さて、まず一番最初に「白鯨」が登場するのは、蓮の母が亡くなり、引っ越しをするときの荷物の一番上に乗っていた本がそれであった。最初は「そんな難しい本をこどもが読むわけもないし、なぜあえて「白鯨」を選んだのだろう」と思っていたが、それは後々になってわかった。

熊徹の元で修業を積んだ蓮はある日ひょんなことから人間界に戻ってしまう。そのとき、図書館に行くも9歳から学校に行っていないため漢字が読めず本を読み進められない。その本というのが「白鯨」であり、最初に登場した本は蓮が読んでいたもの、もしくは蓮の母が読んでいたものだと考えることができる。

その後、図書館で出会った女の子・楓と一緒に勉強をするようになり(「白鯨」を読めるようになるために)、大学進学を目指すようになる。

 

次に、一郎彦が闇にのまれてしまい、蓮を消そうと人間界の渋谷の街中で暴れる。そのときに蓮が落とした「白鯨」の本を見つけた一郎彦はクジラの形になって暴れる。そのシーンで楓が「白鯨」を読んでいるときに言っていた彼女の解釈を思い出した。

船長は自分の片足を奪われた鯨に復讐をしているんだけど、本当は自分自身と闘っているんじゃないかな?鯨は自分を映す鏡……。」

つまり、ここで出てくるクジラは一郎彦の闇を映しているものなのではないかと考える。そういえば渋谷の街で蓮がショーウィンドウに映った自分に穴が開いているのを見ているシーンがあった。それが一郎丸の場合クジラの形になって表れたのだろう。

 

「白鯨」の最後は船長エイハブがやっと探し続けていたクジラを見つけ、捕獲しようとするもクジラに縛ろうとしていた縄で自分がクジラに縛り付けられてしまい、そのまま死んでしまうというものである。

これを前提に置くと、一郎彦もエイハブのように自分の闇にのまれ、そのまま破滅するものだと考えていた。しかし、やはりアニメーション映画、そういうわけにもいかないので、蓮が一郎丸の闇を心の剣となった熊徹と共に突き、助ける。一郎彦はその後、闇にのまれていた間していたことは思い出せなくなったが、これで話は終わる。めでたしめでたし

 

と、いう解釈をしたわけだが、なにぶん私は少し触れた程度でしか「白鯨」を知らないのでこれ以上深く考えることができない。この夏に一度日本語訳からチャレンジ

してみようと思っている。

 

エイハブの執着ともいえる過剰なまでの復讐心は何なのか、エイハブにとってのクジラとは?という問題についての解釈はたくさんあり、エイハブとクジラをモチーフにしたBL漫画まであると聞いたことがある。この作品では自分を映す鏡として解釈されていたが他の解釈も知ったうえでもう一度観ると何か新しい見方ができるかもしれない。

 

とにかく私は早く小説を読んで、いろんな角度からこの作品を分析してみたいと思っています。アメリカ文学の授業が楽しすぎていつの間にかこんな記事(笑)を書くようになってしまっている自分に驚きを隠せません。最初は文学を専攻するつもりなどまったくなかったのでこの作品が直接影響したわけではありませんが、米文学専攻のゼミに入りたいと思うようになってきました。

今回この映画を見たことで自分が知っている文学の知識と合わせてストーリーを解釈していく面白みを実感してしまったので、多分文学を専攻する道は避けられないかな、と思います。再受験するとか言ってた一年前の自分をしばき倒したいです。

 

長々と記事を書きましたが、何回も言いますように、知識の浅い私の勝手な解釈ですのであまり何も突っ込まないでやってください、自己満足のためのものですので・・・。

ただ、もっといりこんだ解釈をされていたりする方がおられましたら今後の勉強のための参考にしたいので教えてくださると幸いです。(そもそも誰も見てない気はするけど。)

 

とにかく一郎彦兄さんかっこいいです(よだれダラー